東京は台東区、隅田川に架かる白髭橋の袂に「オサダモータース」というバイクショップがある。
下町の気さくな外車ディーラーとして歴史があり、古くからの馴染み客が多く集まる、いわゆる老舗のバイクショップだ。

'95年、H.O.G.日本事務局(Harley Owners Group Japan)が開設され その2年後、
ショップのツーリングに常連としてして集まっていた者たちをチャプターメンバーとしてH.O.G.J.に登録し、
「浅草チャプター」が発足した。('97年4月)

とはいってもあまり変化は無かった。
ショップからツーリングのお知らせが届き、参加してみるとショップのスタッフが至れり尽くせりと面倒を見てくれたので
気楽にツーリングを満喫出来たし、それは以前と同様だった。
だからチャプターメンバーの一員であるとの意識をあえて高く持つ必要はなかったし、
そもそもチャプターという言葉(組織単位)自体にピンとこなかった。

それでも、年月を重ねるごとに次第とメンバーの結びつきは強さを増し、
“浅草チャプター”も徐々に誇らしく思える存在へと変わっていった。

2003年、チャプターが発足して6年が過ぎた。


これといった特徴は無いのだか、なかなか味のあるクラブになってきた。

会長をはじめ発足当初からの役員は、そのまま変わらずクラブの面倒を見続けてくれていた。
年上だろうが年下だろうが、役員だろうがなかろうが、みんな平等に付き合えた。
メンバーはそれぞれに違う個性をクラブに持ち込み、そして互いに相手を尊重し合い、自分と違う個性を受け入れ楽しんだ。

カラーを背負う背負わないは自由。また、そのカラーにしてもHOGのシンボルだろうが違うものだろうが、それも自由。
カッコよくキメてる人もいれば普段着の人もいる。半キャップの人もいればフルフェイスの人もいる。
イカしたカスタムHDとノーマルHDが並んで走るし、ベテランも初心者も同じペースで気兼ねなくツーリングを楽しんだ。


'02年の暮れ、メンバー数人で浅草チャプターオリジナルのカラー(看板)を作ることになった。
浅草チャプターとしての公式な看板というわけではない。
H.O.G.J. 自体もチャプターのカラーとして認める訳はなかったが、そんな事はどうでもよかった。

カラーのシンボルは、オサダモータースが使っていたデザインをアレンジし使わせて貰うことにした。
「浅草Chapter」、この“Chapter”という文字を漢字にしたい、だけどそのまま訳すと“支部”となってしまう、
カッコ悪すぎだ。そこで、メンバーMitsuさんの提案を採用し“浅草会”とすることにした。
正式にはオーナーズグループなのだが、みんな仲間なんだからと、“M/C”のロゴを入れた。

★Harley Owners Group Asakusa Chapter /別名:“浅草会 Motorcycle Club”★

しょせん遊び、たかが遊び。
軽いノリでいいと思った。 堅苦しい決まりなんて、我々にとっては意味は無かった。


H.O.G.とは米国ハーレーダビッドソン本社が運営しているもので、チャプターとはHD正規販売店が母体となり支部として各地に存在している。
日本各地のチャプターのほとんどは、お客へのサービスと車両購入後の関係継続を目的としディーラーが主体となり運営を行っている。
しかし、チャプターには置くべき役員(役職)が定められており、その活動はメンバーによる企画運営が本来の理想的なかたちなのだ。

浅草チャプターも、これまではショップ主体で活動が続けられてきた。しかし、
「自分らの遊びを他人任せでは、組織の意味が無い!」
2003年中頃から、活動の主体をメンバーへ移行させ、この年の暮れにメンバーによる組織の自立を宣言した。

そして、ショップには最低限のバックアップだけをお願いすることにした。


それから半年。
どうにかこうにかで新体制での活動が軌道に乗り始めたばかりの頃、
オサダモータースのオーナーからある決断を聞かされた。

「HDJ の正規販売店を止めることにしました。・・・・・」


浅草チャプターは解散である。
役員が集まり、今後について話し合った。

「組織の名前を変えて、これまで通り活動を続けようよ!」
みんな同じ意見だった。
オサダモータースも、今まで通りバックアップを続けてくれると言ってくれた。
変わるのは名前だけで、中身には問題は無かった。


皆の前向きな考えが嬉しかった。



2004年8月31日
H.O.G.浅草チャプター 解散

2004年9月1日
『浅草会 Motorcycle Club 』
発足 !



Ride On !!


'04.9/1